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                       生いたち
きっかけ
 昭和41年3月29、30の両日、北海道立図書館と道総務部文書課主催による第4回古文書解読講座が、札幌市・あかしや荘(中央区南3西12、今はとりこわされてない)を会場に開かれた。講師は高倉新一郎氏で、北海道大学教授を退官される直前の、いわば道民向の現職最終講義であり、いつもにもまして熱のこもった含蓄ある指導がすすめられた。
 一日目の講義のあと、奥山亮氏(昭和48年死去)が「地方史の現状と問題点」と題して、近年の市町村史編纂の動向を手ぎわよくまとめられ、今後の指針を示した。参加者はみな、いろいろな悩みや疑問を持っていたので、この機会に話し合いをしようではないかということになり、中富良野町・岸本翠月氏(昭和54年死去が座長につき、研究編纂の現状を交流した。山積する難問の解決には、このような話し合いの場を計画的継続的にもつことが大切だという意見が、数多く出されたのである。
 この発案をより具体化させようと、二日日の講座終了後、有志があつまって協議、北海道史・市町村史の研究編纂者が連絡をとりあえるサークルを結成する方向に進めようときまり、その発会の準備にあたる委員として井黒弥太郎、奥山亮、高倉新一郎、渡辺茂(昭和57年死亡)の四氏をえらび、事務上のとりまとめは北海道立図書館に依頼、当時古文書解読講座を担当していた岩松良寛氏(現山形市)はこれを心よく引きうけてくれたのだった。


よびかけ
 こうしたサークルが、それまでなかったのではないが、なかなか育ちにくかった。昭和30年代中頃は市町村人口の増加、経済的発展により、自治体財政は教育文化面へ一縷の光明を与え、一方住宅や公共施設の増改築が盛んになり、それにともない古い文書、書籍、道具類の廃棄が急速にすすんだ。
歴史に興味をもつ者にとって、こうした社会の動きを無視できるものでない。時あたかも国は「明治百年」を、道は「開道百年」を祝う準備をすすめつつあり、通史・市町村史の研究編纂の活発化は、これらの動きと無関係でありえなかったことは勿論である。
 個人的関心であれ、自治体職員が業務の一環としてであれ、また大学などの研究者を含め、歴史の研究編纂者は着実に増えていった。こうした中でサークルの必要性が自然発生的に交されていたといえる。準備委員を依頼された四人は、多忙な中で打合せを
重ね、仮称「地方史研究者連絡協議会」のスタートを呼びかけるメッセージを昭和41年7月のはじめ、有志にとどけた。


 創  立
これに応じ、全道各地から84名の人々が馳せ参じ、同年7月26日、午後二時半から、札幌市・日赤合館(中央区北1西5、この建物は今もある)で発会のための総合が開かれた。夏の暑い日、熱気の中で期待をこめた会則の審議と役員の選任が行なわれ、会の名称を「北海道史研究協議会」ときめ、会長に高倉新一郎氏を選出、事務局は北海道立図書館内に置くことにした。こうして会員の連絡提携をはかる本会が生れた。
                          『20年の足跡』(昭和62年8月11日刊より)

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