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                  旧北炭夕張鹿ノ谷倶楽部 ・ 夕張鹿鳴荘                       
平成19年9月9日
前夜の大雨もなんのその、全国大会も無事成功裡に終わり、上天気の中帰路につく。
十勝晴れの中、サービスエリアで十勝岳連峰をバックに、
後に霞む連峰を越えれば日高、樹海ロードを越えれば、空知。

空知は、炭鉱の町・夕張鹿鳴荘に寄ってきました
左側から第1別館、本館、第2別館、それぞれ渡り投下で繋がる。
高級料亭を思わせる玄関構え 広い玄関の中に入ると大理石の沓脱石、ソファーがある玄関ホール、衝立の寅が客を迎える 施設平面図で、概略の説明
平書院、床脇付きの床のある二間続き、 境の透かし欄間、
奥の部屋には、松の絵の金屏風 屏風横の大皿 床脇の花瓶 襖の引き手
浴室の引き戸 引き戸下には竹細工が 引き戸にはこの貼り付け模様 浴室の天井・ステンドグラス
脱衣所の丸窓ステンドグラス 食堂、片隅にはピアノ型の手回し蓄音機、窓、電灯
食堂に続く部屋、パントリーとしても、また、境の戸はここに収納して、より大きな部屋にも出来る 厨房、厨房の入口上に並ぶブレーカー
昭和天皇お泊まりの部屋、絨毯敷き、壁はクロス貼り、カーテン、窓飾り、シャンデリヤ、堪能下さい。
浴室と浴室の船底天井 脱衣所、出窓天井は網代 浴室に繋がる廊下と化粧室
御便殿(!)の縁側 庭から見た本館 1間幅の縁側 高台から見た本館
雁行の本館 本館東側には、8畳間、4畳間、8畳間が並び、各室に床が付く
応接間、リクライニングシート、マントルピース、シーリングライト、洋風意匠の南側入口 一巡して玄関ホールに戻る
北海道にこれほどの規模で純和風の建築物があったのかと思うほどの建物である。素晴らしい。一度は見学されたい。
出来れば、手入れをして欲しい。企業が建築し、市の所有となってはいるが、保存には相当な費用がかかるであろう。
保養、宿泊、研修などで、団体・個人を問わず、複数の方が資金を出し合い、維持していくとかの方法はないモノであろうか
炭鉱の倶楽部と呼ばれる施設は二種類ある、
鉱員層が囲碁や将棋、各種の集会など余暇や催しの場とするものと、
職員や来客が利用する迎賓目的のものである。
北海道に現存し公開されている炭鉱倶楽部は、
夕張の「北炭鹿の谷倶楽部」と
歌志内の「空知鉱倶楽部」   の二つの施設だけとなっている。
鹿ノ谷倶楽部
鹿ノ谷倶楽部は炭鉱の来客を迎えるための迎賓施設であり、また職員の交流の場としても利用されていた。
夕張新鉱の閉山(昭和57年)により主要施設が取り壊されたが、市民や調査研究に基づく市長への保存要望によって残された。
建物の配置は、庭園と組み合わせた中央の本館、上方の第一別館、下段の第二別館からなり、それぞれ渡り廊下で接続される。
各館概要
 本 館
所 在 地  夕張市鹿の谷
用途  迎賓館(住居建築・社宅)
来客・皇族などの視察滞在などにも対応
構   造  木造平家
建 設 年  大正2(1913)年
岩見沢にあった旧重役宅を移築、増築
施 工 者  篠原要次郎(札幌)
 第一別館
用途 社宅・三井男爵が宿泊用
構   造  木造平家
建 設 年  大正5(1916)年
施 工 者
 第二別館
用途  社宅(第一号職員社宅)
最上級の職員住宅「第一号一戸建」として建つ→他の職員社宅は職制にしたがってこの規模を順次縮小している。
構   造  木造平家
建 設 年  大正2(1913)年
施 工 者  篠原要次郎(札幌)
1.沿 革
北海道炭礦汽船は、大正2(1913)年に炭鉱事業集約のため北海道支店を岩見沢から夕張の出入り口であった鹿の谷に移転
事務所・鹿ノ谷倶楽部・幹部職員住宅・学校・診療所・派出所・テニスコートゴルフ場等を建設した。
鹿ノ谷倶楽部は、来客接待のための迎賓館として使われ、
 本  館〜大正2(1913)年に岩見沢にあった重役宅を移築し(同年9月17日竣工)、
 第一別館〜大正5(1916)年に三井男爵の宿泊用に増築したもので(同年8月竣工)、
 第二別館〜大正2(1913)年に最上級職員住宅「第一号一戸建」として建設(同年9月17日竣工)
 昭和29年 昭和天皇・皇后陛下行幸に宿泊された寝室・応接室・総ヒノキの浴室がそのまま残されている。
2.平面構成
本館に、第一・第二別館が廊下で結ばれ、本館の各室から南庭を望める雁行形の配置で、屋根は寄棟と切妻が複雑に組み合わされている。
本館は北側玄関で、玄関ホールの奥には南庭に面する15畳間・10畳間、畳廊下を隔てて南面する10畳問がある。
玄関ホール右手には大食堂・小食堂・配膳室、廊下を隔てて厨房・食品庫・使用人部屋がある。
玄関ホールから右手奥には、廊下に沿って脱衣室・浴室・ボイラー室・洗面室・トイレが並ぶ。
この奥には、南庭に面して、昭和26(1951)年に行幸された際に昭和天皇・皇后両陛下が滞在された寝室・御座所、
縁をつたって数寄屋の意匠で流−された洗面台・洋式トイレ・和式トイレ6畳間・脱衣室・浴室が配されている。
玄関ホールの左手には南庭に面して応接室・寝室が並び、その奥にも南庭に面して8畳間・4畳間・8畳間が続き、その北側にトイレと浴室。
第一別館は大・小食堂の西側に渡廊下で結ばれ、8畳間・10畳間・洋間・蔵がある。
第二別館は、8畳間・4豊岡・8畳間の縁側に渡廊下が結ばれ、玄関の左手に12畳半間・洋間、右手に8畳間が3室と6畳間、さらに南側に台
所・物置と6畳間・4畳半間がある。
3.意匠上の特徴
夕張鹿鳴舘は、大食堂・小食堂、昭和天皇・皇后両陛下行幸時の寝室・御座所、玄関ホール左手の応接室・寝室以外はすべて和室で、和
風意匠を基本とする迎賓館である。
南北の中心軸にある15畳間の床・違棚・平書院の座敷飾りと畳廊下の縁側、大食堂・小食堂と東西軸を構成する8畳間2室の床・違棚の座
敷飾りは質の高い和風意匠を現している。
また、玄関ホールと応接室には壁を挟んでマントルピースを備え、大・小食堂は洋風意匠で統一され、北側中央の壁に大理石製のマントル
ピースを設けている。
本館の西側の浴室と脱衣室にはステンドグラスが収められ、浴室の天井の明かり取りはアールヌーヴオー調であり、脱衣室の壁の丸窓は
薄紅色を基調にした梅をモチーフしている。
本建物は、和風住宅を基本としながら洋風意匠を巧みに調和させた大正期を代表する近代和風建築である。
4.用途
記録では初期の施設内には撞球場なども設けられ、職員の社交場としても機能していたほか、季節の折々に炭鉱の主催で地元有力者を
招待する宴も催されていた。
5.価値
本道における炭鉱遺産の来客接待用施設として唯一残された遺構であり、
昭和天皇行在所ともなった
建築的、文化史的価値も見過ごすことはできない貴重な建築である
建築資料は、北海道開拓記念館の北海道炭礦汽船株式会社関連資料として所蔵され資料的価値の裏付けも明確である。
鹿の谷倶楽部は、北炭をはじめとする倶楽部の中で道内最大規模の和風建築である。
現存する炭鉱倶楽部は、2棟のみ