能 楽 堂
 初めに、稿を起こすとき、石狩支庁管内というより、建築士会石狩支部管内の、各分会の建物を、一棟ずつ紹介して行くはずであったが、稿を進めるうち、一般に文化財と呼ばれる古建築は、支部管内に少なく、また、“古い建物“自体も、一分会に偏っていることなどから、たびたび、他支部に及ぶことを、お許し下さい。
 今回は、道内唯一の、小樽に通る“能楽堂“について。
能楽堂概要
 初めに、道内では、馴染み薄い“能楽堂”の一般的な事柄について。
 能楽堂とは、“能舞台“と“見所“(ケソショ=観客席)を、一棟に容れたものをいう。本来能舞台と見所は、別々である。元来、屋外にあったのであるから、一棟となった時もまた、その形態をとっている。つまり、能舞台にかかる入母屋屋根、白洲、一ノ松、ニノ松、三ノ松がある。しかしながら、これらの小(?)道具は、屋外の名残としてあるだけではない。白洲は、自然光線を反射し、間接照明に役立つ。更に、三本の松、特に一ノ松は、橋掛りにおける演出に、多大の効果をあげている。
 能舞台には、映画館などの舞台のように、舞台と観客席を、間仕切るものもないほどの簡素なものである。その舞台を彩るものは、前述の入母屋屋根、三本ノ松、自洲、それに、鏡板の老松と、脇鏡板の若竹の絵画があるのみである。
が、これらは、舞台の装飾というよりは、舞台の一部としての性質の方が、強いようである。
 そして、これらは、何如なる演曲にも、変えられることはない。
 能舞台の見えざる特徴として“北面して建つ“ということがある。
普段は見れない能舞台横姿 舞台正面の老松と脇の若竹 幕口板戸の唐獅子
小樽・能楽堂
沿 革
 大正15年 小樽市の篤志家岡崎謙氏建立
 昭和29年 市に寄贈
 昭和36 現在地に移転
建 材
 主に内地材、一部道産の松、杉、桧の特選材、要所に神代杉。
絵 画
 鏡板の老松、脇鏡板の若竹、幕口板戸の唐獅子は、能舞台の揮毫を以て家柄とする、狩野派17代重信の筆による。
 古来技法による緑青などの特殊絵の具材を用いて、春秋中世気温の日を選んで描く。
 以上が、小冊子「小樽の史跡・旧跡と建造物」によるところである。
 この能楽堂については、次の二つが、特徴としてあげられる。
 演能時には、鞘堂とでもいうのか、保護の囲いを外し、公会堂から観覧すること。
今一つは、本来、揚幕であるはずの幕口が板戸であること。
 現在、能楽堂は、公会堂に付属した建物の如きである。演能の時には、この公会堂が、見所桟敷となる。
 なお、この公会堂=小樽市公会堂は、明治4482324・日大正天皇(時の皇太子)が、小樽に行啓された時、藤山要吉氏が、瓦葺き純日本式の御殿を、小樽公園内に建て、宿所に供したものである。後に市に寄贈、市民会館の建設に併い、現位置に移設された。
囲いを外された能舞台 舞台正面 雅楽が演じられました 普段はこのように囲われています