小樽 運河沿い

 近頃、佐藤愛子のモノを、寝る前に読んでいる。彼女も原稿の〆切りに迫られ、書くモノがなくなると、大文人佐藤紅緑は、このようにしていたと書き、原稿を、何とかやりくりしている、という。

 旅行好きで物珍しがり屋の私は、道内といわず、日本中、結構あっちこっち行き来した。

 おかげで、古建築の写真は、かなりの目方はある。チリ紙交換にだそうなものなら、一か月分のトイレットペ−パーはくれるであろうほどの量である。それを地域別、用途別に分類してファイルしてある。また、多くの資料もある。

 しかし、ファイルをしてある個々の建物と、資料とは、必ずしも否、ほとんど結びつけて整理していない。現在の勤務先以前のものだけが整理されている有様である。整理する暇は、いくらでもありそうなものであるが、ヒマになればなったで、結構ヒマがない。大見栄を切って引き受けた、「いしずえ」の原稿も、編集委員会からいつまでにと言われてから、2週間は経つ。原稿をまとめる時間がないわけではない。

今回こそはと思いつつ、町内会のこと、他に入会している会のことなど、不思議とこのような時に集中して、結果は、毎回同じこととなる。

 こんな時、冒頭の佐藤愛子の一文を想うのであるが、我が妻にこれを語れば、いっぱしのモノ書きぶるな、と。然り。

今は無い道 倉庫の瓦

 小樽運河が、埋め立てられるニュースに、無性に小樽へ行きたくなり、夜、行って来た。

 丁度10年前の1011月、卒論で仲間3人と小樽に居た.東京ロマソチカの「小樽の女よ」が、流行っていた頃である。そして、小樽の運河よりも、倉庫群の取り壊しが、始まって話題になっていた頃である。国内でも珍らしい程多い数の石造倉庫群で、隆盛小樽の姿を遺していた。

札幌バイパスの終点、国道5号線を陸橋で越えたあたりから、百数十棟という、大型の石造倉庫があり、中には棟に鬼瓦をのせた、居丈なものもあった。この辺りは、有幌と呼ばれ、有幌と言えば、倉庫しかなく、有幌倉庫群と呼ばれていた。今は、一昔前の偲ぶよすがもないように変わっている。ここの海側には、石炭の積み出し港があり、これも今はなく埋めたてられ、“今北前船”とでも言うか小梅一舞鶴間のフェリ−ターミナルになっている。

 有幌の倉庫に限らず、小樽の倉庫の多くは、石造倉庫である。ちなみに、小樽市史によれば、明治24年の営業倉庫数は63棟、明治30年には149棟、この内、101棟が石造倉庫であったという。わけは簡単、火災の多い街であったからである。更に、小樽は、明治20年代にはいり、急速に発展した街である。北海道の開拓もようやく軌道に乗ってきた時期でもある。内陸部からの農産物の出荷もなされるころであり、また、特に日露戦争後は、南樺太が日本の領有となったこともあって、消費物資である石炭はもとより、木材、農産物の中継集散基地となって、商港小樽の華々しい時期を向かえる。

 物資の仲継ぎが増えるということは、野積が可能な物とは限らず、自然倉車が増え、さらにまた、穀物の選別場としての機能もあったりして、大型倉庫となり、背の高い重量感のある倉庫ともなった。

この時代、現代のような大型船舶が、岸壁に横着けすることはなく、艀取りといって、小型船の艀が、倉庫と船を中継ぎしていた。つまり、倉庫内に、物資を入れておく時間も長く、耐久的な建物も必要とされた。本当かどうかは、はっきりしないが、小樽の倉庫は、地下水によって、自然定温倉庫の効果もあったという。

 有幌の倉庫群跡を抜けるころ、クランク状に曲がって進むと、そこからは、昔ながらの狭い通りが続く、この通りに面してあった旧小樽新聞社の建物は、道道臨港線建設のため壊され、今は、野幌の開拓の村にある。ウォール街と呼ばれたころ、小豆将軍と異名をとった高橋直治という経済人がいた。この人が、有幌に倉庫を建てたころ、小樽の石造倉庫は166棟という記録がある。時、大正6年。更に道を進めば、小樽駅から下ってくる道との交差点あたりは一時ウォール街と呼ばれた、交差点の四隅に金融機関があったからである。運河沿いの一本山側の道。(小樽の運河は、他の地方のものと違って、海側に島状の埋め立て地を作り形成された)昔ウォール街は、運河沿いの倉庫群より、活気と色気のある通りである。和やかな装飾のついた鉄筋コンクリート造、袖壁と呼ばれる防火壁のついた重厚な土蔵造り、袖壁に模様や、屋号の入っている石造建築物、出桁造りで、軒の深い木造、3階建に屋号入りの搭屋(小屋根?)のある大型石造の建物、等々。そして、この通りの終りに近い所に、小樽市立博物館がある.旧日本郵船の建物であり、日露戦争終戦処理の交渉を、行った所でもある。その後の懇親会は、有幌の山側に、今もある海陽亭で行われた。

日本郵船と日本銀行小樽支店の設計者は、現東大の建築の同級生、設計者の意図がこれほど対比できる建物も少い。

小樽の海に近い倉庫の多いくは、今流の愛想のない倉庫ではなく、一棟一棟自分の表情を持っている倉庫達である。最近では、倉庫といえば、ほとんどが何とも愛想のない画一的なものであるが、小樽同様長年月を経れば、表情が出てくるのか。また、構造材料によるものなのか、今の倉庫にも表情を持たせることはできないものだろうか。

 ♪粉雪舞い散る小樽の街♪一東京ロマソチカのメロディーにのって、10年前の倉庫街を偲んでみました。

倉庫解体中 かつての運河